沖縄の空手映画

沖縄に繋がりのある空手映画といえばベスト・キッドがありますが、アメリカに渡った沖縄出身の宮城が、いじめられている青少年に空手でたくましい心に導く。というストーリーでした。最近知ったのですが、沖縄の型の空手は世界中に信望者がいて、沖縄で空手のイベントがある時は世界中から門下生が自分の流派の師匠から直接教えをうけるために集まるほどリスペクトされているものだという。

それならば沖縄に空手映画があってもいいのではないか? 沖縄には才能ある人がきっといるはずだし、素晴らしい素材にも恵まれている。資金が足りないだけなのだ。と最近思ってます。

タイのムエタイ映画「マッハ」のトニージャー。沖縄のトニー・ジャーは?

大正時代の沖縄の空手家は沖縄の空手の普及を目的に日本本土などに雄飛した。東京で当時アメリカのプロレスラーが、街頭でリングを作り「俺に勝てる奴はリングに上がってこい! 俺に勝てたら賞金をやるぞ!」と観客を煽り、腕におぼえのある日本人が何人かリングにあがったが、体格差、体力差で全く歯がたたなかった。そこに色の黒い、非常に小柄な男がリングに上がった。アメリカ人レスラーは大笑いし、止めとけと言ったが、男は構えたので試合は始まったが、勝負は一瞬だったという。大男のアメリカ人レスラーが悶絶して倒れていた。男の名前は本部サールー。

中城出身のボクシング世界チャンプ平田さんのお兄さんは普天間高校ボクシング部に所属してた頃、部活の帰りに普天間の飲み屋街をボクシンググローブを肩にかけ、歩き流したそうです。彼がくるとタクシーの運ちゃんや飲み屋のお姉さんたちが「あの子来たよ」などと何か期待して見てたそうです。ボクシンググローブを肩にかけた学生をからかう米兵が必ずいたそうです。ボクシングの構えでカモン、カモンと・・・平田チャンプのお兄さんはちゃんとグローブをつけ相手をしたそうです。大体一発でKOで周りは拍手喝采。何度も見ている米兵も止めなかったそうです。ノックアウトされるのを見たいから・・・

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